新田義貞
  • にったよしさだ
  • 生没:正安3年(1301)〜暦応元年・延元3年(1338)
  • 鎌倉時代末から南北朝時代の武将。元弘3年(1333)挙兵し鎌倉を攻略。
    建武新政のもとで、後醍醐天皇に重用されたが、建武2年(1335)足利尊氏が背くと、天皇側の中心武将として 戦い、一時は尊氏を九州に追い落とした。
    建武3年(1336)後醍醐天皇が、勢力を盛り返した尊氏に降ると、天皇の皇子恒良親王を奉じて越前に向かい、 金ケ崎城(敦賀)に立てこもったが翌年落城。脱出した義貞は、各地に援軍を募り、暦応元年延元3年(1338)には、越前での情勢を優勢に転じた。
    黒丸城、藤島城などに拠った足利方に対し、一斉攻撃をかけた義貞は、藤島城方面の苦戦の知らせに、本陣である燈明寺から50騎を率いて援軍に向かった。この途中300人の敵と遭遇し戦士した。

藤島神社
【藤島神社】
所在地:福井市毛矢3丁目8−21
新田義貞を主祭神とする神社で、はじめは戦没地と伝えられる燈明寺畷に建立され、現在の地には明治34年に奉遷された。
義貞所用と伝えられる国指定重要文化財の「鉄製銀象眼兜」などを所蔵している。

燈明寺畷新田義貞戦没伝承地
【燈明寺畷新田義貞戦没伝承地】(国指定史跡)
所在地:福井市新田塚町(新田塚公園)
新田義貞が戦没したと伝えられている地。江戸時代の明暦2年(1656)燈明寺の田から兜が出土した。第4代福井藩主松平光通がこの兜を義貞のものと認定し、 出土地に石碑を建立したのが、新田塚の起こりである。

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