橘曙覧

橘曙覧肖像
  • たちばなあけみ
  • 生没:文化9年(1812)〜慶応4年(1868)
  • 幕末の歌人・国学者。文化9年(1812)、福井城下石場町(現つくも1丁目)に、文具などを商う商家、正玄家の長男として生まれた。
    天保3年(1832)なお(直子)と結婚したが、国学や文学の道を志した曙覧は、家業を異母弟に譲って愛宕山(現、足羽山)に隠棲した。
    嘉永元年(1848)には三ツ橋(現照手2丁目)に居を移し藁屋と称した。福井藩16代藩主松平春嶽の訪問を受け、その後交流を持つが、春嶽からの福井城出仕の要請には辞退をしている。
    慶応4年(1868)8月28日、57歳で病没。『志濃夫廼舎歌集』に数多くの名歌を残し、明治32年には正岡子規によって「万葉、実朝以来の歌人」と絶賛され、全国的に紹介された。


橘曙覧生家跡
【橘曙覧生家跡】
所在地:福井市つくも1丁目
曙覧の生家である文具商正玄家の跡。1812年5月に父五郎右衛門、母鶴子の長男 として生まれた。翌年には母と死別。

黄金舎跡
【黄金舎跡】
所在地:福井市足羽6-34
1839年、家業を異母弟の宣に譲って隠棲した場所。
実家である正弦家の別宅で、曙覧はその居を黄金舎と称した。
現在は福井市橘曙覧記念文学館が建っている。

橘曙覧親子像
【橘曙覧親子像】
所在地:福井市足羽1丁目(福井市橘曙覧記念文学館)
三女健子との睦まじい様子を表している。
弘化元年(1844)曙覧は4歳になった健子の病死という悲しみに見舞われた。※平成12年設置

継体天皇大世系石碑
【継体天皇大世系石碑】
所在地:福井市足羽1丁目8(足羽神社境内)
曙覧が、国学者田中大秀に入門していたとき、継体天皇の世系を広く世に知らしめたいと願っていた大秀に依頼され、学友らと奔走して1847年に建立を実現した。

藁屋(志濃夫廼舎)跡
【藁屋(志濃夫廼舎)跡】
所在地:福井市照手2-5-13
曙覧が、37歳のとき、それまでの住まいであった黄金舎から住居を移し、
57歳まで住居した場所。
志濃夫廼舎は1865年に、福井藩主松平春嶽が藁屋を訪れた時に、直に賜った名前。

三女健子の墓
【三女健子の墓】
所在地:福井市足羽1(妙観寺)
長女・次女を産まれてすぐに亡くした曙覧にとって、 最愛の娘であった三女健子は天然痘のため4歳で死去した。
墓には曙覧の悲しみを表した碑文が彫られている。

奥墓
【奥墓】
所在地:福井市田ノ谷町21-4
57歳で病没した曙覧は、生前にこよなく愛し、幾度となく訪れた大安禅寺に葬られた。

歌碑
【歌碑】
所在地:福井市足羽1丁目
福井県短歌人連盟による建立。
「はるにあけて先(まず)みる書(ふみ)も天地(あめつち)のはじめの時と読いづるかな」



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