北国街道沿いの城下南のまち
北国街道沿いの城下南のまち石碑
【北国街道沿い城下南のまち】
所在地:福井市西木田2-8-1(商工会議所前庭内)
足羽川以南の江戸時代の町について解説している。

【新屋敷町(上、中、下)】
北国街道に沿って南から新屋敷上町、新屋敷中町、新屋敷下町の順で並ぶ。
新屋敷上町の南端には惣木戸が設けられていた。
また新屋敷下町は中野本山専照寺の門前であった。
【荒町】
一里塚が設けられていた。
荒町一里塚
【新町】
辻町の南に位置した。
【辻町】
現在も木田四ツ辻の名が残る。北国街道はここで西に折れた。
【東町】
堀秀政の菩提寺であった長慶寺がある。
【久保町】
堀江戸時代前期の絵図には「窪町」と記載され、窪地だったことを起因とする町名であろう。
【赤坂町(上、下)】
南の上赤坂町、北の下赤坂町に分かれる。
福井城下の最南端に位置し、足羽郡東郷赤坂村から阿弥陀如来像が移されたことに起因した町名といわれる。
城下のたばこ販売権の過半がこの町に集中していたため、通称「たばこ町」とも呼ばれた。
【七軒町】
南は赤坂下町、北は新屋敷下町である。
【中町】
天王社(現、木田神社)が置かれた。また、城下きっての豪商であった橘家も広壮な屋敷を構えていた。
木田神社
【堀町】
北ノ庄城主堀秀政が居住したという伝えがある。
【石阪町】
笏谷石の採掘に関係する人が多かったことに起因する町名であろう。
【神宮寺町(上、中、下)】
南から神宮寺上町、神宮寺中町、神宮寺下町に分かれる。
町名の由来は神仏習合のため足羽神社・黒龍神社の神宮寺があったことによる。
神宮寺中町の孝顕寺は、福井藩祖結城秀康が常陸結城から移した結城家の菩提寺であった。
【石場町(上、下)】
南の石場上町の石場上町、北の石場下町に分かれる。
足羽山の笏谷石採掘と関わりがある地名と考えられる。 幕末の歌人橘曙覧は文化9年(1812)石場下町で生まれた。
橘曙覧生家跡


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