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橘曙覧とは
橘曙覧(タチバナノアケミ)
文化9年~慶応4年(1812~1868)
幕末福井の歌人、国学者。
歌集に『橘曙覧遺稿 志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集』 がある。
曙覧の肖像画
 
越智通兄筆 橘曙覧肖像画
曙欄の生涯
曙覧は、文化9年(1812)5月、福井城下の石場町(現福井市つくも)で紙、墨などの文具を商う家に生まれました。
28歳(25歳、35歳説あり)で家督を弟に譲り、隠棲して歌と学問に打ち込みました。学問は国学を学び、飛騨高山の国学者田中大秀に入門しました。福井藩主松平春嶽や京都の女流歌人大田垣蓮月らとの交流が知られています。
曙覧は生涯のほとんどを福井で過ごし、慶応4年(1868)8月28日に57歳で亡くなりました。
藁屋跡
居宅・藁屋跡(福井市照手2丁目)
数多くの歌がここから生まれました。
敷地内に歌碑、井戸跡があります。
 
 
 
■曙覧の歌
 
曙覧の歌の特徴といえば日常生活に題材をとり、身近な言葉で詠むということが第一に挙げられます。近世末期、花鳥風月を詠むことが主流であった時代に、曙覧は焼き魚や豆腐を食す楽しみ、紙漉きや銀山採掘などの労働風景、そして竹が生えた住まいの様子や衣についたしらみのことまで歌にしました。このような歌は当時の歌壇においては珍しく、曙覧の存在は異彩を放っていたといえるでしょう。曙覧没後、その歌は正岡子規を始めとする文学者に高く評価され、明治期の歌壇に大きな影響を与えました。
近年では、平成6年(1994)6月13日、天皇皇后両陛下がご訪米された際の歓迎スピーチにおいて、ビル・クリントン アメリカ合衆国大統領が曙覧の「独楽吟」の中の一首を引用しています。今もなお曙覧の歌に親しむ方は多く、日本はもちろんのこと、世界各国から曙覧を知りたいという方が館を訪れています。
 
志濃夫廼舎歌集
曙覧の墓
『橘曙覧遺稿 志濃夫廼舎歌集』

曙覧墓(福井市大安禅寺)
 
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