展示と建物


展示室のご案内

展示室1F
  • A玄関
  • Bグリフィスと郷土の偉人
    肖像写真が並ぶ部屋。グリフィスをめぐる様々な人のつながりが見えてきます。
  • グリフィスが見た福井
    頻繁な散策で出会った美しい風景、印象的なエピソード。それを生き生きと伝える日記や手紙からイメージした"水彩画"・"絵日記"で、色鮮やかに明治の福井が甦ります。 水彩画 絵日記
  • Dグリフィスの功績
    グリフィスが教鞭をとった明新館での授業や出版事業などの功績をパネルや実物の展示、タッチモニターで紹介しています。

  • グリフィス館2F
  • Eグリフィスの執務
    グリフィスの執務室をイメージした空間。グリフィスが由利公正に宛てた書状や家族への手紙(複製)などを展示しています。
  • 執務室由利公正に送った書状(代筆)
  • Fグリフィス・ライブラリー
    グリフィスの写真や著作物を展示しています。亡くなる前年、福井をはじめ日本全国から大陸にまで及んだ精力的な講演旅行について。また、グリフィスと日下部太郎との出会いがきっかけとなったニューブランズウィック市と福井市との交流も紹介しています。
  • Gグリフィスの生涯(年表)
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建物について

福井藩がグリフィスたち外国人教師の居住用に建てた鮮やかなライトグリーンの家屋は、デザインにおいても明治初年という時代を映しています。当時の横浜の古写真には、ベランダやポーチと海鼠壁(なまこかべ。瓦の目地に漆喰を盛った外壁)を組み合わせた、和洋の建築技法・意匠の混然する建物が写っています。その外観は、19世紀なかばの急速な西洋文化流入の中で、石・煉瓦造の知識をまだ十分持たない日本の職人が、持てる技術と溢れる創意によって生み出した工夫に満ちています。もう少し年代が進むと、本来の西洋建築の様式に則った「洋館」が主流となるため、失われた日本各地の様々な独創的「擬・洋風」建築物の再建は稀でした。そのため維新前後にしか建てられなかった「ベランダ海鼠壁」もまた、全国的に幻の建築といえます。


武家屋敷に仮住まいしていたグリフィスが、「ベランダ海鼠壁」の新居に移ってから暮らした期間は4か月ほどですが、それは幼い生徒たちが何人も同居するにぎやかな家でした。家屋はグリフィスが福井を去って2年後に焼失しましたが、隣接して建っていた同じデザインの家が、昭和11年にやはり火災で失われるまで、かつての「異人館」として残っていました。


当館は、残された資料から「異人館」の外観を考証・復元したものです。全体に均整のとれたプロポーションと、抑制された表現に宿る美意識が特徴的な造形です。また建材として福井の誇る石材「笏谷石(しゃくだにいし)」を市民の皆様から御寄贈いただきました。屋内では、仕掛けのある肖像写真の部屋などで、グリフィスと福井の関係を中心とした展示を行っております。福井の地で復活した、明治維新の時代を象徴する姿の建物で、世界の大きな変わり目とその後の日々を、果敢に懸命に生きた人々の思いにふれていただければ幸です。