橋本左内(景岳)

橋本左内(景岳)

橋本左内(景岳)

  • はしもとさない(けいがく)
  • 生没:天保5年(1834)~安政6年(1859)
  • 幕末の福井藩士。天保5年(1834)福井城下の医師の家に生まれた。
    15歳のとき「啓発録」を著して、自らの生き方を明らかにした。
    嘉永2年(1849)、大阪の緒方洪庵に師事して蘭学、医学を学び藩医となるが、学問への志は強く、安政元年(1854)より江戸に遊学。
    藩主春嶽の右腕として、将軍継嗣問題や外交問題等の国事に奔走し、世界的な視野を持って、幕府や諸藩の有志と親交を結んだ。
    井伊直弼が大老に就任すると、安政の大獄により幽閉され、安政6年(1859)10月7日、26歳の若さで斬首された。

関連史跡

【左内銅像】

【左内銅像】

所在地:福井市左内町(左内公園内)

昭和38年10月7日、市民の寄付により建立された。

【啓発録の碑】

【啓発録の碑】

所在地:福井市左内町(左内公園内)

左内が15歳のときに著した『啓発録』が記されている。
「稚心を去る」「気を振う」「志を立てる」「学に勉める」「交友を択ぶ」

【生家跡】

【生家跡】

所在地:福井市春山2丁目

左内の父長綱は藩の奥外科医を勤めていた。現在は石碑が立てられている。

【左内墓所】

【左内墓所】

所在地:福井市左内町(左内公園内)

【恒道神社】

【恒道神社】

所在地:福井市大手3丁目(福井神社境内)

松平春嶽を祭神とする福井神社の境内にあり、 橋本左内と共に、中根雪江、鈴木主税が祀られている。