柴田勝家・お市の方

  • しばたかついえ
  • 生没:生年不詳~天正11年(1583)
  • 斯波氏の諸流柴田土佐守の子として尾張愛知郡に生まれる。織田信長の宿将。
    元亀元年(1570)、六角丞禎に攻められて、近江の長光寺城に篭城中、飲料水の水瓶を割って、城には戻らぬ覚悟で猛襲し、ついに敵を破ったことにより「瓶割柴田」の異名をとったといわれる。
    天正3年(1575)9月、信長が越前の一向一揆を滅ぼすと、越前の内49万石を与えられ、北ノ庄(現在の福井市中心部)に壮大な天守閣を持つ城を築いた。
    一乗谷から商人、職人を寄せ、足羽川には九十九橋を架橋し、城下町の形成に努めた。また、国中掟書や刀狩り等により、よく統治した。
    信長の死後、後継者をめぐって羽柴(豊臣)秀吉と対立し、天正11年(1583)4月に賤ケ岳の戦に敗れ北ノ庄に敗走。同24日、北ノ庄城にて妻お市の方と共に自害した。享年は57歳から62歳まで諸説ある。
      【辞世の句】 夏の夜の夢路はかなきあとの名を雲井にあげよ山ほとゝぎす
  • おいちのかた
  • 生没:天文16年(1547)~天正11年(1583)
  • 織田信長の妹。浅井長政の妻小谷の方。
    永禄10年(1567)信長の意により近江小谷城主・浅井長政に嫁いだが、天正元年(1573)夫、長政が信長に攻め滅ぼされた後は、3人の娘(茶々、初、江与)とともに尾張に帰る。
    天正10年(1582)本能寺の変で信長が没した後、清洲会議を経、同年10月、3人の娘を連れて、柴田勝家に再嫁する。しかし、夫、勝家が羽柴秀吉と対立。翌天正11年(1583)、賤ケ岳の戦いで敗れ、同年4月24日、勝家と共に北ノ庄城内で自害した。享年37歳。
      【辞世の句】 さらぬだにうちぬるほども夏の夜の夢路をさそふほととぎすかな

関連史跡

【北の庄城址公園】

【北の庄城址公園】

所在地:福井市中央1丁目21

柴田勝家が築城した北ノ庄城の天守があったとされる。 天正3年(1575)に築城がはじまったが、天正11年(1583)羽柴秀吉軍に攻められ落城した。
現在は、史跡公園となっていて、勝家とお市を祀る柴田神社、三姉妹神社がある。

【柴田勝家像】

【柴田勝家像】

所在地:福井市中央1丁目21(北の庄城址公園内)

福井市出身の陶芸家、雨田光平氏の作。

【西光寺墓所】

【西光寺墓所】

所在地:福井市左内町8-21

柴田勝家、お市の方の菩提寺。

【天魔ヶ池】

【天魔ヶ池】

所在地:福井市足羽上町(足羽山公園)

【九十九橋】

【九十九橋】

所在地:福井市中央3丁目~つくも1丁目

古くは北ノ庄大橋などと呼ばれ、勝家が北ノ庄城主となってから南側を石造り、北側 を木造りで架け替えた。
半石半木の奇橋として全国的に有名な橋であった。
明治42年の架け替えまで330年間存続した。