細井順子

細井順子

細井順子

  • ほそいじゅんこ
  • 生没:天保13年(1842)~大正7年(1918)
  • 足羽郡六条村(現福井市六条町)の農家竹下久次郎の長女に生まれ、長じて福井の呉服商細井万次郎に嫁した。
    手織りの技術で高い評判を得ていた順子は、官費による機業伝習生に推薦され、明治9年(1876)7月から10ケ月間京都府立勧業場に派遣され、バッタン機による製織技術を習得した。当時順子はすでに家庭の主婦であり、京都派遣の実現には、夫万次郎の理解と協力があった。
    帰郷後は、毛矢町の工場で、指導者として10年余りの間、福井の織物産業の担い手となってゆく数多くの優秀な職工を育成し、また、技術の向上にも努めるなど、福井におけるバッタン機の普及に多大な功績を残した。

関連史跡

【細井順子像】

【細井順子像】

所在地:福井市大手3丁目(福井県繊協ビル1階)

※平成16年設置

【細井順子碑】

【細井順子碑】

所在地:福井市足羽1丁目(虚空蔵寺境内)

隣には、明治41年、順子が66歳の時に、その業績を讃える人々により建立された紀功碑がある。

【細井順子解説石碑】

【細井順子解説石碑】

所在地:福井市足羽1丁目(虚空蔵寺境内)

この碑は、順子が度々訪れ、山からの景色をみてふるさとをなつかしんだゆかりの寺の境内に、建てられている。※平成16年設置