中根雪江(靭負)

中根雪江(靭負)

中根雪江(靭負)

  • なかねせっこう(ゆきえ)
  • 生没:文化4年(1807)~明治10年(1877)
  • 幕末の福井藩士。
    文化4年(1807)福井藩の上級武士の長男として城下に生まれた。
    天保9年(1838)松平春嶽が藩主として迎えられると、春嶽の教育に力を注いだ。また財政事情の厳しい福井藩において春嶽が進める藩財政の立て直しを助け、特に倹約政策に効果を上げ、藩財政の危機を救った。
    安政の大獄で春嶽が隠居謹慎になると、藩政の第一線を退くが、17代藩主の茂昭を補佐するため、文久元年(1861)には江戸へ赴き、文久2年(1862)春嶽が政界に復帰して、政事総裁職に就任すると、再び側近として、参勤交代の緩和などの幕政改革において春嶽を補佐した。
    晩年は福井県三国町宿浦で閉居し、釣りを楽しみとした。明治10年(1877)没

関連史跡

【中根雪江像】

【中根雪江像】

所在地:福井市宝永3丁目(神明公園内)

※平成18年設置

【中根雪江翁顕彰碑】

【中根雪江翁顕彰碑】

所在地:福井市大手3丁目(佐佳枝廼社境内)

雪江の友人勝海舟の撰文染筆によるもので、篆額は春嶽の揮毫。
明治25年建立された。福井震災で倒壊したが、修復再建された。

【中根雪江宅跡の碑】

【中根雪江宅跡の碑】

所在地:福井市宝永4丁目

雪江の住居の跡に石碑が建てられている。

【恒道神社】

【恒道神社】

所在地:福井市大手3丁目(福井神社境内)

松平春嶽を祭神とする福井神社の境内にあり、中根雪江と共に、橋本左内、鈴木主税が祀られている。