杉田定一(鶉山)

  • すぎたていいち(じゅんざん)
  • 生没:嘉永4年(1851)~昭和4年(1929)
  • 嘉永4年(1851)坂井郡波寄(現、福井市波寄町)に生まれた。
    少年時代に三国滝谷寺の道雅に学び、明治元年(1868)から大阪、東京で洋学を取得し次第に政治に興味を持った。薩長中心の明治維新政府に反対する自由民権の風潮が高まる中、定一も土佐の板垣退助等と共に国会開設運動に尽力した。明治14年(1881)福井県が置かれると、県会議員に当選し、副議長に就任した。明治23年(1890)国会が解説されると、衆議院議員に立候補して当選、以後連続9回当選した。
    風水害に苦しむ県民のために、3大河川(九頭竜川・日野川・足羽川)の改修工事を推進、また国有鉄道の敷設などに力を注いだ。明治39年(1906)には、衆議院議長に選出された。
    国や福井県のためにその一生を捧げ、長年の政治活動のため全ての資産を失った定一は清貧うちに79歳で世を去った。

関連史跡

【杉田定一(鶉山)銅像】

【杉田定一(鶉山)銅像】

所在地:福井市砂子坂町5-58(福井市鶉公民館前)

杉田定一(鶉山)の功績を伝えていくために、杉田鶉山翁遺徳顕彰会及び鶉山会によって、昭和60年3月に建立された。

【杉田定一翁顕彰碑】

【杉田定一翁顕彰碑】

所在地:福井市菖蒲谷町

昭和42年(1967)5月、福井市と旧川西町の合併を機に、 定一の業績を後世に伝えるために建立が計画され、翌43年に建立された。

【墓地】

【墓地】

所在地:福井市菖蒲谷町

定一と家族の墓。
県内の有志や芦原温泉旅館の名が寄進者として記されている。