横井小楠

横井小楠

横井小楠

  • よこいしょうなん
  • 生没:文化6年(1809)~明治2年(1869)
  • 安政5年(1858)福井藩主松平春嶽に招聘され、福井藩政治顧問となる。
    藩校明道館で講義をしながら、開国通商と殖産興業による富国強兵策を提唱し、福井藩の藩政改革を指導した。福井藩士の三岡八郎と実施した、長崎で絹や生糸を販売して農民に還元するという富国策では大きな成果をあげて、藩の財政を立て直した。
    文久2年(1862)春嶽が政事総裁職に就任すると、江戸で春嶽を補佐したが、翌年熊本に帰国し、熊本郊外の四時軒に逼塞した。
    明治元年(1868)新政府の徴士参与として京都で活動を始めたが、翌年61歳で暗殺された。

関連史跡

【横井小楠銅像・右】

【横井小楠銅像・右】

所在地:福井市大手3丁目(内堀公園内)

安政5年(1858)冬、横井小楠は一時帰国のため三岡八郎を同行して九州に旅立った。
三岡八郎の目的は、長崎での物資販売ルートの開拓であり、この成功により藩財政は著しく改善され、 福井藩は幕末の雄藩としての地位を固めていった。
彫像は九州に旅立つ三岡八郎(後の由利公正)と横井小楠の姿を表現したものである。※平成9年設置

【寄留宅跡石碑】

【寄留宅跡石碑】

所在地:福井市中央3丁目

福井での寄留宅の跡に石碑が建てられている。