三岡八郎(由利公正)

三岡八郎(由利公正)

三岡八郎(由利公正)

  • みつおかはちろう(ゆりこうせい)
  • 生没:文政12年(1829)~明治42年(1909)
  • 幕末の福井藩士。文政12年(1829)福井城下毛矢に生まれた。
    福井に来遊した横井小楠の学問に影響を受け、藩財政を研究。
    殖産興業策を進めるため、小楠に同行して、下関では物産取引の実情を調査、長崎には越前蔵屋敷を建て、オランダ商館との間に生糸販売の特約を結んだ。
    八郎が推進した富国策は大きな成果を挙げ、藩財政は黒字に転じた。
    慶応3年(1867)には、坂本龍馬が、新政府への八郎の参画を求めて来訪。維新後は新政府の参与となり財政を担当した。また、五箇条御誓文の草案を起草するなどの足跡も残している。
    明治4年(1871)には廃藩置県後初代東京府知事となった。翌年には岩倉欧米視察団に随行。その後元老院議員、貴族院議員をつとめた。  
    明治42年(1909)81歳で没。

関連史跡

【旅立ちの像】

【旅立ちの像】

所在地:福井市大手3丁目(内堀公園内)

安政5年(1858)冬、横井小楠の一時帰国に同行して三岡八郎は九州に旅立った。
目的は、長崎での物資販売ルートの開拓であり、この成功により藩財政は著しく改善され、 福井藩は幕末の雄藩としての地位を固めていった。
彫像は九州に旅立つ三岡八郎(左)と横井小楠の姿を表現したものである。※平成9年設置

【由利公正広場】

【由利公正広場】

由利公正の功績やゆかりの人物を紹介する説明板も設置されている  

【由利公正宅跡石碑】

【由利公正宅跡石碑】

横井小楠、坂本龍馬が訪れ、国の将来を語り合った

【坂本龍馬歌碑】

【坂本龍馬歌碑】

横井小楠の案内で足羽川を渡り、由利公正を訪ねた際に詠んだ歌が刻まれている「君がため捨つる命は惜しまねど心にかかる国の行く末」

【莨屋旅館跡石碑】

【莨屋旅館跡石碑】

所在地:福井市照手1丁目

慶応3年(1867)11月、新政府への八郎の参画を求めて来訪した坂本龍馬と会談し、夜更けまで日本の将来を語り合った。
寄留宅の跡に石碑が建てられている。