岡田啓介

  • おかだけいすけ
  • 生没:慶応4年(1868)~昭和27年(1952)
  • 慶応4年、現在の福井市旭地区に生まれた。職業軍人として、日清、日露の両戦争に従軍し、大正13年(1924)海軍大将に昇進、その2年後には連合艦隊指令長官に就任した。昭和2年(1927)田中義一内閣と5年後の斎藤実内閣で海軍大臣を務め、昭和9年(1934)に、福井県からは初の首相に選ばれた。国内で軍国主義が台頭する中で、昭和11年(1936)2月、2.26事件に遭遇したが、秘書官の松尾伝蔵大佐(福井市出身)が身代わりとなって死亡し、岡田首相は危うく難を逃れた。その後太平洋戦争の末期には、和平工作と東条内閣打倒に尽力した。昭和27年(1952)85歳で没。

関連史跡

【岡田啓介像】

【岡田啓介像】

所在地:福井市大手3丁目11(中央公園内)

母校である福井市旭小学校下の旭社会教育会が中心となって建立した。

【岡田啓介生誕地の碑】

【岡田啓介生誕地の碑】

所在地:福井市日之出3丁目

生誕から、海軍兵学校に進学する明治18年まで在住した地。父は郡奉行であった。