大森房吉
- おおもりふさきち
- 生没:明治元年(1868)~大正12年(1923)
- 明治元年(1868)福井城下新屋敷百軒長屋(現手寄2丁目)に生まれる。
20歳で東京(帝大)理科大学に入学。大学院では地震・気象学を専攻した。
3ケ年のドイツ・イタリア等への留学後、明治30年に東京帝国大学の地震学教授となった。海外の地震を視察し、国内の桜島などの噴火でも現場に駆けつけ助言を与えるなど、実証的、科学的研究を進めた。また国内の地震予知にも力を注いだ。重厚剛胆で、潔癖、無欲の房吉は、ノーベル賞委員会からの受賞審査論文提出の誘いに、多忙のため答えなかったという。
大正12年(1923)9月、太平洋学術会議出席のため、オーストラリアに出張中、関東大震災が発生した。急遽帰国する船中で病に倒れ、同年11月、56歳で逝去。
関連史跡
【大森房吉像とレリーフ】
所在地:福井市手寄2丁目(手寄公園)
【大森式地震計】