旧天王町

【旧天王町 石碑】

【旧天王町 石碑】

所在地:宝永2丁目

天王町の町名は、福井城築城のとき、鬼門除けとして牛頭天王社がこの地に移されたことに由来します。 この場所は福井城本丸の北東に位置し、武家屋敷が立ち並んでいました。
「天王」の名は、慶長18年(1613)頃に描かれた「北庄家中図」(松平文庫)に早くも見ることができ、貞享2年(1685)の「福居御城下絵図」では天王社の境内の様子もうかがえます。
天王社にちなんだものに、城下有数の祭礼として知られる祇園祭りがあります。 祇園祭りは毎年6月7日から14日に催され、藩主が見物されるなど、木田の牛頭天王社(現在の木田神社)の祇園祭りとともに、大変な賑わいを見せたと伝えられます。
『福井藩十二ヶ月年中行事絵巻』の6月の場面には、祭りの行列が武家屋敷の横を通っていく様子が描かれています。
なお、『続片聾記』によれば牛頭天王社は享保17年(1732)に志比口に移されています(現在の簸川神社)が、天王社にちなんだ町名は人々に親しまれ、明治7年(1874)まで続きました。

【福居御城下絵図】

【福居御城下絵図】

松平文庫蔵(福井県立図書館保管)

【福井藩十二ヶ月年中行事絵巻】

【福井藩十二ヶ月年中行事絵巻】

福井市春嶽公記念文庫蔵