明里米蔵

【明里米蔵跡石碑】

【明里米蔵跡石碑】

所在地:福井市光陽1丁目25-29

下の図は、幕末の福井藩主松平春嶽が、領内を舟で巡視したときの足羽川(九十九橋(右端)から米蔵(左端:御蔵所)まで)が描かれている部分である。八幡宮(現在の花月橋のたもと)や三秀園(三秀プールの場所に逢った家老の屋敷)、南岸の桃園の様子も窺われる。また、御舟町の前の舟は藩主の御座舟である。
この米蔵は、福井藩の年貢米を貯蔵するために、江戸時代初期の慶安2年(1649)に設置された。
敷地面積は約3,000坪、蔵の数は34棟、6万俵(約3,600トン)の米が貯蔵できたという。また、江戸時代の絵図を見ると、周囲に堀と塀を廻らしていたことがわかる。
米の輸送には足羽川の水運が利用され、搬入のために、川から蔵に向かってまっすぐな道が伸びていた。

【海浜巡視水陸路程図】福井市郷土歴史博物館蔵

【海浜巡視水陸路程図】福井市郷土歴史博物館蔵