明里飢饉塚
【明里飢饉塚】
所在地:福井市光陽1丁目
江戸時代の後期、天保7年(1836)と翌8年にかけて、福井藩領は天候不順による大凶作となり、これに加え天然痘の大流行により、領内人口のほぼ3分の1に当たる6万人もの人が餓死、病死したといわれます。 この飢饉塚の石碑は、当時の惨状を伝える貴重な記録であり、 天保14年(1843)に立てられたものです。