グリフィス年譜
1843 | 9月17日、米国ペンシルヴァ二ア州フィラデルフィアで出生。 |
1850 | サスケハナ号(後にペリー艦隊旗艦として来日)の進水式を見る。 |
1859 | 横浜開港(グリフィスが入国し、また帰国する港)。 この頃家計が苦しかったグリフィスは、高校を中退して宝石職人の下で働く。 |
1860 | フィラデルフィアで遣米日本使節団を見る。 |
1861 | 北米の内戦はじまる(南北戦争。グリフィスも二度、志願入隊)。 |
1865 | ニュージャージー州ニューブランズウィックのラトガース大学(オランダ系改革派教会と提携関係。当時既に科学コースもあった)に入学。在学中よりグラマースクール(併設の中等教育機関)の講師を務め、そこの生徒となった横井小楠のふたりの甥や、福井藩士日下部太郎たち日本人留学生と出会う。 |
1868 | 王政復古。 |
1869 | 大学卒業。ニューブランズウィックの神学校に進む。 |
1870 | 4月、日下部太郎の葬儀に参列。 |
松平春嶽から藩校教師の斡旋を頼まれたG.フルベッキ(アメリカの改革派教会から派遣されたオランダ系の宣教師)、本国の教会伝道局に依頼。ラトガース大学教授会はグリフィスを推薦。本人も最終的に受諾。 | |
12月29日、横浜上陸。この時、27歳。 | |
1871 | 3月4日、福井入り。以後、旧酒井外記邸(現・福井市中央3丁目。柴田神社向かい辺り)に暮らし、藩校明新館(橋本左内も教えた明道館の後身。当時、福井城本丸内)に通う。 |
8月29日、廃藩置県。 | |
9月25日、新居(当館のモデル)に引っ越し。 | |
12月、勝安房(海舟)の依頼でグリフィスが教師として紹介した親友E.W.クラークが静岡に赴任。 | |
1872 | 1月22日、福井の人々と別れ、東京へ。 以後、南校(在職中、開成学校に改組。東京大学の前身)で教師を2年半務める。 姉マギーも来日し、翌年から東京女学校で教える。 |
1873 | グリフィスが福井で住んだ異人館が焼失。 |
1874 | 7月18日、姉と共に横浜を出港し、帰国。 |
1875 | ニューヨークのユニオン神学校に入学。 |
1876 | |
代表作"The Mikado's Empire(皇国)"出版。 | |
1877 | 神学校卒業。牧師としてニューヨーク州スケネクタディに赴任。 |
1879 | キャサリン・ライラ・スタントンと結婚。 |
1883 | 長女リリアン生まれる。4年後に長男スタントン(外交官となる)、その5年後に次男ジョン・エリオット生まれる。 |
1886 | ボストンのショーマット組合教会の牧師となる。 |
1893 | ニューヨーク州イサカの組合教会の牧師となる。 |
1898 | 夫人と死別。 |
1900 | サラ・フランシス・キングと再婚。 |
1903 | 牧師の仕事を引退。以後、文筆業に専念。 |
1908 | 勲四等旭日章を受ける。 |
1915 | "The Mikado(ミカド)"出版。 |
1926 | 12月、サラ夫人と共に日本再訪。
勲三等旭日章を受ける |
1927 | 4月25日~29日、福井に滞在。6月、帰国。 |
1928 | 2月5日、フロリダ州ウィンターパークで死去。享年84歳。 |
1929 | サラ夫人が福井市に日時計を寄贈(1934 設置)。 |
1936 | 残っていた異人館も焼失。 |
1975 | 福井青年会議所から、日下部らが眠るニューブランズウィックの共同墓地へ視察派遣。 |
1976 | 日下部太郎の夭折を悼む堕涙碑、福井市立図書館横に建立(現在は当館敷地に移設)。 |
1977 | 訪米した大武幸夫福井市長、荒廃した墓地の修復を願いニューブランズウィック市に寄附。 |
1981 | 福井大学とラトガース大学、提携。 |
1982 | 福井市とニューブランズウィック市、姉妹都市提携。 |
2015 | 福井市グリフィス記念館、開館。 |
日付は全てグレゴリウス暦です。